この10 年、ヨーロッパ風景を描いてきた。永い時を人々とともに歩み、愛された古い街ばかりだ。
昨年は、南イタリアで出会った廃墟を描いた。地震で崩れ去っても、なお、人々に愛され共に「生きている」といえる街の姿だ。
早春の不安定な天候のなかで、丘の上の廃墟は、吹きつける強い風にさらされながら、時折流れる雲の間から覗くやわらかい陽の光に包まれて、温かに安らいで見えた。
草地には羊が放され、広場であったろう場所では馬に草を食べさせながら、地元の人がパイプを吹かしている。そんな光景。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、破壊された街の映像を嫌というほど見た。爆撃や砲撃で破壊された街は瓦礫の山だ。それは、人間の悪意の、憎悪の塊だ。
21世紀のヨーロッパで、こんな野蛮な形で戦争が起こるなど、想像すらできなかった。
パンデミックに戦争、これから世界が、地球がどうなっていくのか誰にもわからない。
インターネットで、世界はつながっているというが、それはかえって個人を分断していると思えるし、AIを万能のようにいうが、統計の集積に過ぎない。
すべての価値が変質していくこの時代に、私は絵を描いている。そのことの意味は、正直わからない。
変わらない日常を生き続ける努力を重ねる以外、道はない。